責任は嫌われる
こんばんは。
今日のテーマは「責任」についてです。
どこの国に行っても、どんな職業についても、何歳であろうとも、
人間であれば常に付きまとう「責任」。
しかし、その絶対的なものを嫌うのもまた人間です。
では、教育現場での「責任」とはなんでしょう。
教育者の立場からすれば、生徒の進路を切り開く責任、
生徒の立場からすれば常に学び続け、教育者の努力を無駄にしないということではないでしょうか。
もっと簡単な考え方をしましょう。
教育現場でよく見られるのが次の事例です。
-----------------------------
A君は授業を真剣に聞き、先生の言ったことにはちゃんと従います。
しかし、なかなか成績は伸びません。
成績は伸びないけど、勉強の方法もわかりません。
そこで、A君は先生に相談してみたところ、家庭学習を多くしないとだめだと言われました。
-----------------------------
さて、この事例を聞くと「先生にばかり頼るな」とか「自分で何もしようとしない」とか
そういった声が聞こえそうです。
確かに、勉強の基礎は先生だけが築き上げるものではなく、
自分で固めなければならないものでしょう。
しかし、この事例をよくよく再考してほしい。
先生だけに頼るのはよくないとは僕も思います。
基礎を築きあげるための指標を立てるのはだれか。
基本的な勉強方法を教えるのはだれか。
生徒はなぜ先生を頼っているのか。
よく勉強方法を聞いても、家庭学習をしなさいという先生がいます。
ではなぜ授業をやっているのでしょうか。
全部を生徒にゆだねるのであれば、授業なんていらないでしょう。
問題を配布して、ずっと自習の時間にすることに問題があるのでしょうか。
教育者の立場は生徒をきれいに磨くことではありません。
生徒の進路を肩代わりする立場でもありません。
ただ勉強の基礎をべらべらしゃべるだけなら必要ないでしょう。
問題は基礎をつくりあげるための方法を伝授することです。
先生自身が築き上げた知識の積み上げかたを教えるのが学校の意義ではないでしょうか。
最近授業を受けていて感じたことです。
みなさんはどう考えますか?
最後までお読みいただきありがとうございました。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。